社長 柵木 博の原点

自動車の存在がもたらした、家業の大変革

  • ませぎ自動車株式会社

ピンチとチャンスをもたらした、自動車の存在

築250年以上の母屋に、今もすんでいる柵木家は先祖代々から続く、農業の仕事に独自性を出すために父の代からは、南国の生花栽培を始めていました。

流通のインフラが整っていなかった当時の東京の花市場では、当社が温室栽培した冬に売る南国の花が飛ぶように売れたそうです。

しかし花がもたらした繁栄は長くは続きませんでした。

自動車の普及で、地方からの安い花が、東京市場に次から次へと進出してきたのです。

「このままでは家業が続けられない・・・」

私が下した打開策は、家業を窮地に追いやった自動車産業への参入でした。

毎日必死で働いた昭和30年代

大学卒業後に職業訓練校に入って自動車整備を学び、その後は修行のため、自動車工場に入社しました。

修行といっても、当時は誰も仕事を教えてくれません・・・。
朝から晩まで働いて、帰宅後に独学で勉強しました。
今では珍しい光景かもしれませんが、当時の駆け出しはみんな同じような境遇だったと思います。

数年の修行時代経て、独立した時点ではお客様はゼロでした。
「明日からは、何から始めたらいいだろうか・・・」
そんな心配は杞憂に終わり、初日から依頼が殺到し、残業の連続・・・遅い参入ながら、時流に乗ったのです。
自動車の登場によって衰退した家業を救ったのもまた、自動車の存在でした。

せちがらい世の中に「夢」を!

今の私達があるのは、間違いなくお客様にご支持いただいたお陰です。だからこれからも、車に関することなら、困っている方のお力になりたいと、心から思っています。

実直に、地道に、コツコツと・・・

ドンドン前向きに行けた私達の時代は恵まれていました。
でも今はせちがらい世の中で、夢が無さ過ぎです。
私の今の夢は、地元の皆様に頼りにされる自動車屋になることです。
そして、この国に、すこしでも優雅な心を持てる国にするお手伝いができれば本望です。

ませぎ自動車株式会社 代表取締役 社長柵木 潤一

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